indian summer


遠くに行きてー!と思う。

百万円と苦虫女』という映画で主演の蒼井優が「自分探しなんてしたくない、イヤでもここにいるから。むしろ逃げてるんです。」とボヤいていて、なるほどまさに自分もこんな感じだなぁと納得してしまったのだった。

音楽聴いて映画観て屁こいて雪の宿をかじって猫を撫でて日がな一日を消費している僕みたいな社会不適合者は、ときどき周りの環境がイヤになる。「学生としての自分」や「アルバイターとしての自分」といったアイデンティティを一応は有しているわけだけども、そういうのからちょっくら逃げたくなるのだ。モラトリアムだとわかっていても、窮屈なものはやっぱり窮屈だ。そんなときに自分のことを誰も知らない環境に飛び込んで「自分探し」ならぬ「自分殺し」をすると、肩の荷が下りたように気が楽になる。当たり前だが吾妻ひでお先生みたいに完全放棄して失踪するわけではない。一種のリセットだ。

写真は雨上がりのアユタヤ。そこいらに建ち並んだ遺跡をぶらついたり、暑さに負けたらひきこもって本を読んだり、夜の屋台で焼きエビをかじったり、ぼけーっと過ごしていた。デジタル・アナログ問わずカ。海外に出たからって詰め込むような観光はしない、自分のペースに合わせればいい。

そして充分休養したら帰る。所詮は世俗に浸かりきった都会っ子なので、映画観たい!レコード漁りたい!餃子の王将行きたい!といった煩悩からは逃れられまへん。その辺が生粋の自分探シストの人々と違うのだろう。帰国して、また疲れて、また逃げて、また戻って…今後の人生で何遍繰り返すことができるだろうか。

止まろうとする意志と、動こうとする意志。矛盾した二つの狭間で今日も揺れ続ける。