destination unknown

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旅とは心そのものが自由であること。

自分も未だバックパッカーの端くれなので、人から「海外行けなくて辛いですね」とよく言われる。実際春に計画していた2つの旅はキャンセルになったし、もちろん行けるならすぐにでも行きたい。

しかしそこまで精神的ダメージを受けていないのも事実だ。

社会に息苦しさを感じることがあってその度にちょこちょこと海外逃亡していたが、目に見えないほどの小さな小さなウイルスが、あんなに大きいと思っていた社会にダメージを与えてフライトもビザ発給もストップさせてしまった。自分みたいな青い鳥を探しに行くタイプのダメ人間を自由でいさせてくれたのは、結局は社会そのものだったのだ。個人旅行が簡単に行えるようになったのは所詮ここ数十年の話で、この程度のトラブルは歴史の物差しで測れば単なる誤差レベルだろう。感染者や観光業従事者など直接的・間接的に被害を被っている人々に比べれば、「海外に行けない」なんていうのは所詮道楽者の気楽な悩みに過ぎない。

そう思うと日々の暮らしの有り難みを否が応でも噛み締める。今できることをしよう―止まっていたタイ語の練習をしよう。ジムが閉まってるなら家で自重トレやHIITをしてみよう。映画館が閉まってるなら見ずに溜めていたNetflixの映画を見よう。読んでなかった本を読もう。いつになるかわからないけど、次の旅行の計画を立てよう。それまで健康でいよう…制限されている中で精神の快適性を模索することは、そんなに悪いものじゃなかった。

旅先で移動したり滞在したりっていうのは単なる結果の行動であり、あくまで自由でありたいという願望が具現化しただけのこと。この記事のコメント欄にあるように「自分の心は、魂は、誰のものでもなく自由なんだな」と感じられるのは、たとえ満員電車に揺られる日常の中でもアティテュードは立派な旅人であるということの証左なんじゃないだろうか。

ZORNというラッパーが「洗濯物干すのもHIPHOP」というパンチラインを放っていたけど、その言葉を借りるなら「自宅で自由を感じるのも旅」ってところだろうか。どうにもならない問題に愚痴っていてもしょうがない。現実は正解なのだから、やれることをただやっていく。ポジティブな諦観を。